Babysteps

29才の高校教師です。学校、教育、高校野球について日々の思いを書きます。

ネットいじめと学校①〜そもそも”いじめ“はいつから始まったのか

こんばんは、フサイチです。

今日は「いじめはいつから始まったのか」というテーマで、

書きたいと思います。

 

そんなの日本史を辿ればキリがないですよね。

織田信長明智光秀に対して行った行為だって“いじめ”、

古典では、平安時代に「継子いじめ」という言葉も出てきます。

 

しかし、

結論から書きます。

 

日本でいじめが始まったのは、1980年代半ばなんです。

 

この理由を、今日は書いていこうと思います。

私は、実は大学院時代、ネットいじめについて研究していました。

最近、学校でのいじめが社会を騒がせる機会が減ってきました。

 

1、大津いじめ事件の衝撃

2011年、大津いじめ自殺事件によって、

”いじめ“が注目されて、

いじめの認知件数は前年の倍(約18万件)となりました。

 

そこで世の中は

「あれもこれも”いじめ“なんじゃないか」

という空気になり、

今ではいじめの認知件数は約54万件となりました。

膨大すぎて、もはや数字としての信頼性を失っています。

研究者の間でも「こんな数字あてにならねー」となっています。

それと同時に、“いじめ”問題に対する社会的な関心も失われていきました。

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産経ニュースより転載
2、いじめの起源

日本の“いじめ”を語るとき、

まず必ず考えなければならない問題があります。

それは、

 

「そもそも”いじめ“っていつからあるの?」

 

という問題です。

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Japaaanより転載

 

先ほど述べたように、”いじめ“という言葉は昔からあります。

しかし、今の時代と同じ概念で用いられていたわけではありません。

 

今は、文部科学省のHPに行けば、いじめの定義が示されています。

しかし、当時は“いじめ”という言葉の捉え方は人によりまちまちでした。

 

では、当時あいまいだった”いじめ“が定義されたのか。

定義されなければならなかったのか。

それは、“いじめ”が社会で問題視されるようになったからです。

 

「この”いじめ“はこれ以上起こるとまずいから、

ちゃんと言葉の意味を統一して、対策を練らねば!」

 

となったわけですね。

では、”いじめ“が、なぜ社会で問題視されるようになったのか。

それは、社会の中で、

”いじめ“によって受ける苦痛が死と結びつくようになったからです。

 

3、「いじめられたから、自殺します」

以前は、

「恐喝されて、リンチされて、精神的な苦痛を受けて自殺した。」

という、報道のされ方をしていたんです。

それが、1980年代になり、子供の遺書やニュース、新聞で

「いじめられて、精神的な苦痛を受けて自殺した。」

と言われるようになりました。

 

これを聞いて、世の中の人は、

「”いじめ“って、自殺するほど苦しいものなんだ」

という認識になるわけですね。

 

それによって世の中に、

「いじめられたから、自殺します。」

「いじめは、死に値するものなんだ」

と考える人間が増えました。

この現象は心理学用語で

「社会的証明の原理」(チャルディー二、2014)と呼ばれます。

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ニコニコニュースより転載


死に値する苦痛として、”いじめ“が社会に認知された。

「いじめって死ぬぐらい辛いものなんだ」と社会が認め始めた。

この1980年代半ばが、日本の”いじめ“の始まりだとされています。

 

間山(2002)ら、多くの研究者がこの認識の変化をとらえ、

それを証明しています。

 

今のコロナと一緒で、社会の捉え方次第で、

人の認識は大きく変わるんですね。

10年スパンでいじめ問題は大きく取り上げられるので、

そろそろ、いじめが再び社会問題になってもおかしくない頃です。

教室が安全な場であるように、我々は尽力していかなければなりませんね。

 

〈参考文献〉

間山広朗 2002  「概念分析としての言説分析」

ロバート・B・チャルディー二 2014  「影響力の武器」