「コロナ時代」の教育〜学校の勉強はもう古い
こんばんは、フサイチです。
学校は始業式があり、多くの生徒が登校しました。
一日だけの登校で、ここからまたGWまで一斉休校です。
今日の登校により感染する可能性が大いにあります。
政府は明日、緊急事態宣言を出すようですが、
もう一日でも早ければなと思わざるを得ません。
そして、
明日予定されていた入学式は中止になりました。
椅子を並べ、呼名の練習もしたのに!
明日しか来ないから、伝え漏れ事項がないよう何回も確認したのに!
でも生徒の安全が第一だから、しょうがないです。
初めての担任の先生が二人いて、その人たちがかわいそうだけど、
これも一生に一度しかない、いい経験だと思うのでね。
生徒に聞いても、家にいることは少なかったそうで、
「バイトばっかりしていた」
「友達と遊んでいた」
など、様々です。
高校生にとって、自分の身を自分で守ることは難しい。
遊びたいし、外に出たいんです当然。
大人がちゃんと方向を示して、守ってあげないとですね。
今日は、昨日に引き続き、コロナ時代について書きたいと思います。
昨日、コロナ時代は「人と人との距離が遠くなる社会」であると述べました。
新型コロナにより、人々は互いの接触を避けるため、
コミュニケーションの場は、ネット空間に大きくシフトし、
「ネットで完結する社会」へと完結します。
インターネットでのやりとりのみで、価値が生み出され続ける社会です。
そんな「コロナ時代」においては、
今の教科教育が急速に意味を失っていくでしょう。
たとえば、『羅生門』の作者を知らなくても、
検索すれば、2秒でわかります。
どこにでも“答え“が溢れているため、
”答え“を知り、覚えることに意味はないんです。
世の中はVUCA時代とよばれ、目まぐるしいスピードで価値が変わっていきます。
学校の勉強は、とっくに古いんです。
私たち教師はアップデートして、
「コロナ時代」に対応できる人間を育てていかなければなりません。
子どものために、今必要な力はなんでしょう。
まずは、「大局観」です。
将棋の羽生善治さんは、試合の中で現状を正確に捉え、
この先どうしたらいいのか、という状況判断ができる力を
「大局観」と呼んでいます。
新型コロナウイルスで、何が変わり何が変わらないのか。
社会がどうなり、どのようなことに価値が生まれるのか。
それが続くのか、一過性のものなのか。
正確に見極める「大局観」が必要になります。
思考が柔軟な子どもと一緒に、すぐにでも考えたいです。
その価値を生かすのが、「広告力」です。
「ネットで完結する社会」における顧客は、
見たことのない他者であり、会ったことのない他人、
つまり「インティメイト・ストレンジャー」と呼ばれる存在です。
自分の見つけた価値を世に広める戦略は、
今までと質が変わるのは明らかです。
私たち国語教師は、今まで日本語を長く守り続けるための「言葉の力」
つまり、「言葉のもつ美しさ」を教える役割を担ってきました。
枝葉が変わっても、日本語の根幹が守られているのはそのためです。
しかし、それは生徒一人一人が生きる力ではありません。
美しい日本語を連発しても、SNSでは誰も振り向きません。
私たちが今教えなきゃいけない「言葉の力」は、
多くの人に価値を伝える「広告力」です。
インティメイト・ストレンジャーを相手に、自分の価値を発信していく力です。
『革命のファンファーレ』(西野亮廣著)
を読了し、今は
『ザ・コピーライティング』(ジョン・ケープルズ著)
を読んでいます。
当然ですが、国語とは全然違うなと、実感しています。笑
入学式の日に生徒に勧めようと思ったのに。