「役に立つ」から「意味がある」へ〜価値あるものは時代とともに変わっていく
こんばんは、フサイチです。
今日は「」というテーマで書きます。
今、「役に立つ」モノの価値が急激に下がっていると言われています。
たしかに今までは便利で「役に立つ」モノが求められてきました。
道で急に喉が乾いても大丈夫なように自動販売機が生まれたり、
暑さや寒さから逃れるためエアコンが生まれたり、
いつでも友達と繋がっていられるようにSNSが生まれたり。
人々の問題を解決する「役に立つ」モノが次々に普及していきます。
逆に言うと、売り手は何が「役に立つ」のかの正解を探していました。
「役に立つ」モノが世の中に満ち溢れ、
いま私たちの生活に問題はありません。
若者たちも、望む多くは手に入ります。
また、スマートフォンの普及により多くの娯楽が身近になりました。
そこそこの楽しみもあり、何不自由ない生活を送れています。
彼らは「さとり世代」ともよばれ、自分にも他人にも多くを望みません。
「ありのままで十分」「今のままで十分」
自分に対して、そして社会に対して「まあこんなもんだろ」と。
「役に立つ」モノが溢れて、問題なく生きられる社会です。
一方で、今本当に必要なのは、「意味がある」モノです。
SNSが「役に立つ」のはわかっている、
じゃあそのSNSは誰が、何のために、
誰のために、どういう想いを込めて作ったのか。
という、モノの「意味」に人々は共感し感動します。
モノ自体ではなくストーリーで価値が決まる
「意味がある」ものに、人々が投資し始める時代です。
西野亮廣さんはよく、
「店検索」から「人検索」の時代になるとおっしゃいます。
美容院などでは、クオリティーの差はほぼなくなっている。
これからは、クオリティーで店を選ぶのではなく、
「あの人がやっているから、あの店で髪を切ってもらおう」というように、
人で選ぶ時代になると。
「人とのつながり」という「意味」に価値が生まています。
「意味」を生み出せる人間が、価値を生み出す時代になったと思います。
国語教師としては、
ものづくりでもアートでも、
思いを込めて生み出したものの「意味」を表現し、価値をつけるのは言葉です。
「こんな人に助けてもらって、こんな思いをして作った」
人に感動してもらえる言葉、共感してもらえる構成、
「ストーリーを紡ぐ力」を鍛えないと、
価値を生み出せる人間が育たないと考えています。
「役に立つ」モノから「意味がある」モノに価値がある時代だから、
人々が求めるストーリーを紡げるような、言葉の力を育てる。
そんな役割を担っています。