夏の甲子園中止〜指導者として、思うこと
こんばんは、フサイチです。
夏の甲子園、中止。
戦後初です。
今の率直な気持ちを、書きたいと思います。
うーん、なんと表現していいのか、分からないのですが、
心にポッカリ、大きな穴が空いたようです。
おそらく、3年生は、僕よりショックを受けているに違いありません。
教師として、指導者として、彼らにかけてあげる言葉が見つかりません。
指導者失格です。
球児にとって、甲子園ってなんでしょう。
たぶん、心の拠り所なんです。
球児に限らず、高校生は輝きたいと思っています。
「今の若者は無気力」
ってメディアが取り上げることが多いです。
実際現場にいても、正直、頑張ることから逃げ、
めんどくさいことはやらない高校生ばかりです。
でも、なりたくて無気力になっているわけじゃない。
一生に一度の高校生活、何かに一生懸命打ち込みたい、青春したい、
仲間と泣いたり笑ったりしたいと思っています。
輝ける場所を大人が用意できていないだけ。
いつも高校生はワクワク、ドキドキしたいと思っているんです。
僕は球児時代、あと一勝で甲子園を逃しました。
あとひとつ勝てば甲子園。
もちろん、めちゃくちゃ悔しかったです。
でも、誤解を恐れずに言います。
甲子園に行けるか行けないかなんて、
本当は大した問題じゃないんです。
甲子園を目指して、
一生懸命努力できた瞬間、
死ぬほど勝ちたいと思った瞬間、
仲間と一緒に苦難を乗り越えた瞬間、
その瞬間瞬間、球児は輝いてるんです。
青春しているな、生きているなって感じることができるんです。
甲子園を目指すということは、
輝きたいと思っている高校生が輝いている瞬間です。
だから、甲子園という場は球児には心の拠り所なんです。
甲子園中止報道直後、Twitterでは
「三年間ありがとう、楽しかった」
と、野球部員がツイートをしていました。
それは私は、本心ではないと思います。
うそでしょ。
本当は、なんとも言えない寂しさに襲われているくせに、
心に大きな穴が空いているくせに、
もう頑張れないのが、悔しくて仕方ないくせに。
指導者のくせに、僕も同じです。
「また次のステージで頑張れよ」
なんて指導者らしいことは言えません。
大人が道を切り開いてやれなくて、ごめんな。
輝かせてあげられなくて、ごめんな。
今は次の目標なんてわからないかもしれないけど、
時間がかかってもいいから、一緒に見つけて行こう。