甲子園〜なぜ私たちは球児の姿を見て感動するのか
こんばんは、フサイチです。
今日は「甲子園〜なぜ私たちは球児の姿を見て感動するのか」
というテーマで書きたいと思います。
毎年楽しみなのが、夏の甲子園。
毎年感動しますよね。
なぜ、球児たちの姿を見て、私たちは感動するんでしょう。
1、一生懸命
球児はいつでも一生懸命です。
もちろん、自分のためでもあります。
しかし感動が生まれるのは、
球児が仲間であったり、家族であったり、指導者であったり、地元であったり。
自分以外の、自分を支えてくれる人のために頑張っているからです。
私たちは、高校生が人のために一生懸命に勝とうとしている姿を見て、
心を打たれるんです。
2、努力の跡
甲子園で、球児は輝いて見えます。
しかし、この舞台に立つためには、
人の何倍もの苦悩があります。
体が動かなくなるまで、厳しい練習に耐えます。
大事な試合の前に、怪我をしてしまうこともあります。
大切な仲間と、考えが合わず対立することもあります。
人の期待に、答えられないこともあります。
8月の甲子園で輝くためには、
そこまでの2年半の想像を絶する苦悩があります。
3、家族への想い
球児が高校野球をやるためには、必ず家族の支えがあります。
野球というスポーツ自体、他競技に比べ費用が多くかかります。
野球選手は食事の量や質が求められます。
球児はそのことを理解しているからこそ、
一生懸命野球に取り組めます。
家族への感謝を、精一杯のプレーで表現する、
その姿に、見ている人々は涙します。
4、仲間への想い
先ほど書いた通り、辛いこと、苦しいことが99%なのが高校野球です。
1%の輝きのために、球児は歯を食いしばります。
それは、とても一人で耐え切れるものではありません。
だからこそ、仲間。
一人じゃないから、乗り越えられる。
そうやって、仲間と共に数々の苦難を乗り越えてきているからこそ、
「一日でも長く、仲間と共に」
という強い思いがあります。
球児の姿は、僕たちの心を震わせますね。
明日、夏の甲子園が開催されるか決定します。
不安が渦巻く世の中、
球児の力で希望の光がさすのではないでしょうか。