Babysteps

29才の高校教師です。学校、教育、高校野球について日々の思いを書きます。

「勝利至上主義」は高校野球の本質

こんにちは、フサイチです。

 

卒業生ロスで、ガス欠気味です。笑

私はこの高校の野球部で3年間、監督として部員の指導にあたりました。

高校野球を教えるために高校教師になった私にとっては、

とても恵まれた、ありがたい経験です。

というのも、タイミングや巡り合わせなどもあり、

監督をやりたくてもできない方がたくさんいるからです。

 

私はたまたま、前任の監督が一年で異動したため、

二年目から監督として、チームを指導することができました。

 

本校の歴史を辿ると、部員は各学年10名ずついるものの、

夏の大会の勝利からは7年間遠ざかっており、

毎年「野球をやるために入学した」という生徒はほとんどいません。

サッカー部と兼用ですがグラウンドがあり、最終下校もなく、

練習環境としては申し分はないのですが、選手のモチベーションにはムラがありました。

 

そんな中で、毎日毎日私が葛藤していたのは、「自分の経験とのギャップ」です。

 

私はもう一度高校時代に戻れるとしても、絶対に戻りたくありません。

二度とあんなプレッシャーのなかで厳しい練習はやりたくないと思うからです。

ですが、今の私があるのは、高校野球があったからです。

厳しい練習に耐え、甲子園に出るために仲間と切磋琢磨したこと。

試合で活躍するために、一人で黙々とバットを振ったこと。

先輩や先生に礼を尽くし、支えてくれる人たちに感謝しプレーしたこと。

高校野球には、人生の全てが詰まっていると思います。

 

だからこそ、私も指導者として子どもたちに同じ経験をしてほしい。

最初は自然と厳しい練習を課しました。

「自分が高校生の頃はこれが当たり前だった」

しかし、選手は思うようについては来ませんでした。

練習へのモチベーションも低く、見ているところではしっかりやっても、

見ていないところで手を抜いている選手もたくさんいます。

 

「えー、まだやるんですか」

「もう終わりで良くないですか」

 

いくら厳しくしたところで、これじゃあ勝てない。

こんなことを言っているようでは。

「選手の声を聞きながら、もっとゆるくやったほうがいいのか」

「選手と対話しながら、妥協点を探していくべきか」

私の中でそんな思いが出てくるようになりました。

確かに、そんなに厳しく指導するのは今の時代は合っていません。

 

ですが、それでは勝てない。

練習のレベルを落としたら、勝てない。

そう思い、練習を妥協することはありませんでした。

 

勝つために、練習をとことんやる。

よく、勝利至上主義の議論を目にすることがあります。

「勝つことを目的とした厳しい指導は教育上よくない」

今の時代、勝利至上主義は忌み嫌われる傾向にあります。

 

しかし私は、高校野球に「勝利」以上の目的はないと思います。

勝つこと、甲子園に行くことが私たち高校野球人にとって、一番の目的です。

「勝たなくても頑張ればいい」と言われて、限界まで頑張れるはずがない。

「勝っても負けても、悔いはない」って、

負けていいと思ってたら「悔しい」とは思わないでしょう。

 

「勝ちたい」って思うから、必死に限界まで練習する。

「勝ちたい」って思うから、負けたら悔しくてさらに努力する。

少なくとも高校野球は「勝利至上主義」であるべきだと思います。

もちろん体罰や暴言など、行き過ぎた「勝利至上主義」は別です。

しかし少なくとも、「勝っても負けても」というような指導は、

これからも私は絶対にしません。

 

「 勝利至上主義」は高校野球の本質です。

「勝つために」を考え、実戦し、反省する。

人生でも大事なことだと思うんですが、どうでしょう。

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